院長の週末 
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メタセコイヤ 命名80周年 10月30日
高野山森林鉄道 その1 10月28日
生石山砲台 10月21日
高野山 10月15日
天王寺動物園 10月14日
コウモリ 10月11日
東京 10月7日
コウモリ 9月13日
南港野鳥園 9月4日
メタセコイヤ 命名80周年 記念展示
10月30日
三木先生は、化石から「メタセコイヤ」を命名し、その後、中国で現生していることが発見されました。いわば、日本中のメタセコイヤの原点といえるかもしれません。
その業績をたたえた展示が博物館でありました。
水草何種かで新種を発見されています。これはそのタイプ標本です。
私が初めて博物館で講演会を聞いたのは、三木先生がらみの何かでした。その時に和服を着た年配の方がおられ、話をすると、「三木の家内です」っておっしゃってびっくりした記憶があります。
博物館友の会の会長もなさっていたそうです。
三木先生の直弟子が粉河先生で、粉河先生も友の会の会長をされていました。粉河先生とは何度かお話しした思い出があり、友の会の総会で昼食しているとき隣にお座りになり、おにぎりをくださったのをよく覚えています。粉河先生は、博物館で三木先生の資料を整理されていたそうです。
で、その粉河先生のお弟子さんが博物館の学芸員をされていました。いわば、三木先生の孫弟子、ですね。
高野山森林鉄道
10月28日
昭和初期、高野山から九度山まで森林鉄道が通っていました。私が高野山で調査している隧道も、この森林鉄道です。
日ごろの運動不足解消のため、九度山から歩いてみることにしました。
資料によると、九度山の道の駅は、この森林鉄道の終点で、貯木場だったそうです。
ここから廃線跡を歩こうとすると、すぐに「通行止め」の看板がありました。左手にフェンスがあり、場所によっては普通の道になっているので、昔は遊歩道として整備されていたようです。今は倒木等で非常に歩きにくくなっています。
ここを抜けると、きっちり整備されたハイキングコースになります。
福知山線の廃線跡のハイキングコースに勝るとも劣らない、良い雰囲気の道でした。
(左)対岸の斜面です。右側に穴があるのがわかるでしょうか?
(右)導水路の隧道です。ここから明渠になっていたようです。暗渠部では、ユビナガコウモリ数千頭が冬眠に使っています。この工事が生息に影響しなければいいのですが。
あちこちのHPで載せられているように、森林鉄道が駅舎の下を通っていたそうです。
掘割になったところがいくつかありました。
途中で見た自動販売機です。よく見ると、角も生えています。
Tシャツや、マスクが買えます。
九度山なので、真田バージョンです。
下古沢駅です。
ネットでは、この付近に森林鉄道の橋脚が残っている、と書かれていましたが、どこにあるのか、わかりませんでした。
斜面に工作物がいっぱいあって不思議に思っていたら、ちょうど地元のおっちゃんが通りかかったので聞いてみました。
これ、地滑りの防止とモニターのため、だそうです。そういえば、何年か前、長期間南海電車が止まっていたことがありましたが、これ(地滑り)が関係あったのでしょうか?
上古沢駅です。
ここからも整備された良い道が続いていました。
確か、「近畿自然歩道」との看板もあったように思います。
「トロッコ道」と書かれた道案内が、どこかから見られなくなっていました。
事前に調べた資料では、普通のハイキングコースに並行して廃線跡があるようでしたので、そちらを歩いてみました。と、トンネルがありました。
このトンネルについて書かれた資料は見ていないので、あまりこっちは歩かれていないんだと思います。
短いけどいい感じでした。
場所によっては、急に道がなくなっているところもありました。
恐ろしい・・・・。行きは真ん中を慎重に歩きましたが、帰りは怖くて、沢に降りました。
明らかに廃線跡の雰囲気があり、枕木のようなものも見つかりましたが、その少し先でまったく道がわからなくなりました。
地図上では次の駅までまだかなりあるし、ここまでで10km以上歩いていたので、引き返すことにしました。
九度山まで戻ると、「真田庵」と書かれた案内板があったので寄ってみました。
日本史にあまり興味がないので、「真田」と言われても、解説を読んでも、よく理解できませんでした。
今日のお土産です。
イノシシ頭骨。
とある畑の横に、大量にほかされていました。
思わず、ひらってしまいました。(九度山から歩きだしてすぐだったので、あまり大量には持ち帰れませんでした。)
YAMAPでは、歩行6時間30分、距離24kmとなっていました。道に迷って、行ったり来たりがたいへんでした。
生石山砲台
10月21日
いつも、紀淡海峡の大阪側の加太近辺や友が島を調査していますが、淡路島側にも遺構は残されています。調べた感じでは、和歌山側に残されているような、原形をとどめた遺構がなさそうなので今まで行ったことがなかったのですが、一度くらいはその確認をしておこうかと行ってみました。
久しぶりに明石海峡大橋を渡りました。
生石山砲台です。規模はかなり大きかったみたいです。
駐車場に、ぽつんとカノン砲が置かれていました。
まあ、この大きさでは「盗難」の危険性もないのでしょうか。
砲台は5か所ほどあったみたいです。
米軍が破壊したのでしょうか、残念ながら、ほとんどの砲台(跡)が破壊されています。
後で調べると、これ以外にも遺構はいくつか残されているみたいでしたが、コウモリが生息できるような規模の地下室等は無いようです。もっとも、山中には防空壕が残されている可能性はありそうでした。
規模からいえば、友が島に匹敵するくらいですのに、残念なことです。成ヶ島にも砲台跡があるとのことでしたが、渡船は週末しか動いてないので渡れませんでした。
展望台から見ると、友が島は目の前で、灯台がよく見えました。こうやって見下ろすと、明治の人たちが、この紀淡海峡を通って外国の軍隊が大阪湾に入ってくると心配した気持ちもわかります。
高野山
10月15日
高野町では、消費拡大のため、観光客向けに5000円の商品券を2000円で販売することになりました。
その購入に合わせて、近くのコウモリを見てきました。
ノレンコウモリ、モモジロコウモリ、キクガシラにコキクガシラコウモリ、ウサギコウモリが観察されました。
以下は導水路のコウモリです。
ユビナガ、モモジロ、コキクがいました。
天王寺動物園
10月14日
入園券をもらったので、久しぶりに天王寺動物園へ行ってきました。
往復は「老人用」の「お出かけパス」を使いました。天王寺まで100円で行けます。
(左)「いっちゃん」は、ずっと水に入って遊んでいました。
中央にできた展示施設です。
はく製や骨格標本が並べられています。
スペースの問題もあるのか、あまり詳しい解説はありません。
お金はかかっているけど、あと一息、何かが足りない気がします。
イヌワシが繁殖したそうです。
天王寺動物園に来ても、空き家を見て回って、昔はここに誰がいたとかを懐かしむだけです。コアラ舎はすごくお金をかけたけど、結局はすでに空き家、ゾウの一角は閉鎖されていました。サル山はフェンスで囲われ、新しい施設を作るようです。
動物園の使命、目的は何かというのはむつかしい問題です。
内部の獣医さんを自動的に園長にすることをやめ、前回、今回、園長さんを公募しましたが、さあ、何か変わったのかなあ。こういう古い組織を改革するって、むつかしいのでしょうね。
コウモリ
10月11日
和歌山北部のコウモリ調査へ行きました。
通い慣れた所のはずなのに、ブッシュがひどくて道に迷うと、素掘りの防空壕が見つかりました。
やっと、いつもの調査地にたどり着きました。
ここは人もほとんど入っていませんし、好きな調査地の一つです。
コウモリは、キクガシラが夏に出産に使っているだけで、冬の利用はないのですが、休憩に少数が使っていました。
夏には100頭を超える出産があり、天井は手垢(足垢)で黒くなり、下にはグアノが多量に堆積しています。
途中の放棄された畑で、キーウィと栗が見つかりました。
ついで、別の生息地へ行きました。
ここは、出産にも冬眠にも使っています。
加太の戦争遺跡が近いので行ってみました。
便所の遺構です。軍のトイレはみんな規格が同じなのか、どこへ行っても同じ構造の基礎を見ます。
尾根にずっと戦争遺跡があるのですが、青少年センターのようなものに流用されており、今日は月曜日で入れませんでした。弾薬庫等の遺構は物置なんかに利用されているので、コウモリの生息は無理の様です。
近くにコンクリート製の遺構があり、のぞいてみるとコウモリが一つ寝ていました。
別の山中にある遺構を探しに行きました。
ここもめったに人が来ないので、良い雰囲気が残っていました。
ほとんど埋まりかけた部屋がありました。
落ちるようにして中に入ってみると、
多数のコウモリが寝ていました。
標識された子も多く、朝に調査した所から移動しているようでした。
東京
10月7日
ピーチに乗って東京日帰りです。
東京行きのきっかけは、これ。
宮崎さんから、写真展の案内と招待券が送られてきました。「50年の集大成」と書かれていました。
会場はもちろん、撮影できませんでした。
時系列とテーマに沿った写真が並べられていました。
この50年と言うのは、私自身の50年と重なります。高校の生物部に入ったタイミングで平凡社のアニマが創刊され、そこに掲載される宮崎さんの写真は衝撃的でした。
いろいろあって、宮崎さんのフクロウ谷に泊めていただいたり、大阪でも講演をしていただいたり、フィールドをご一緒したこともあります。
もう本は増やさないでおこうと思いながら、解説書を購入し、帰ってからじっくりページをめくりつつ、この何十年の出来事を私自身の人生に重ねながら感慨にふけっています。
写真展のあとは、妻の希望で浅草寺へ。行ってから思い出しましたが、前回東京へ来た時も来た様でした。
姿格好で「お上りさん」ってわかるのか、人力車の兄ちゃんに何度も呼び止められました。
その後は、東京駅の東大博物館へ。
ここも撮影禁止でしたので、展示の紹介はできません。展示が代わっているかと思ったのですが、以前来た時とほとんど同じでした。
再び、成田空港です。
時間の関係もあるのでしょうか、コロナの影響も大きいのでしょう、国際線の出発ロビーには誰もいません。
時間つぶしに屋上へ。
ピーチなので覚悟していましたが、遅れることもなく、時間どおり大阪に帰る事が出来ました。
久しぶりの飛行機で楽しかったです。
コウモリ
9月13日
京都の廃坑へ行ってきました。ここは、2017年3月27日に一度来ています。少し気になることがあったので再訪しました。
廃坑が近くなると、ズリ山一面が(おそらく)バラ輝石で出来ていました。京都のこの一帯には、マンガン廃坑がたくさんあったそうです。
(左)鉄の棒が落ちていました。おそらく、鉱山関連でしょう。
埋もれてわかりにくいですが、大きなコンクリートの四角い基礎がありました。鉱石を運び出す索道でもあったのでしょうか。
内部はかなり広く、キクガシラコウモリ、コキクガシラ、ユビナガコウモリが多数生息していました。夏なので、みんなすぐに起きて飛んでしまいました。
内部には龍頭があちこちに残されていました。龍頭というのは、天井を支えるために残された岩石の柱の事です。
(右)ここには、木製の枕木が残っていました。
近くには2,3か所、別の坑道が残っていました。一部は水没しています。
調査が終わってズボンや長靴を確認すると、3匹のヒルがいました。
ついで、別の廃坑を探しに行きました。
完全に閉じられた坑口や、鉱山関係の祠がありました。
イノシシの骨が見つかりました。
帰りには、兵庫県の導水路を調査してきました。
南港野鳥園
9月4日
インテックスでのバザーに行きたいが駐車場代がもったいない、との事で、妻子に南港野鳥園へ行くことを「勧め」られた。
観察小屋には、巨大なレンズを付けたカメラが何台か並び、よく似た格好をしたおっさん連中がだべっている。私もコウモリ用に購入した望遠レンズを付けたカメラは持参したが、双眼鏡を忘れた。最近、鳥なんてさっぱり見ていないし。もっとも、双眼鏡があっても、種の同定にはさっぱり自信はない。
園内も少し歩いてみたが、林は荒れ放題。樹木の解説看板も、対象木がたいてい枯れて消えている。
雨が降ってきたので、早々に退散した。