和歌山市・森林公園
2011年9月22日
訪れたいところがあったので、ついでに「森林公園」なる所を見てきました。
このあたり、山頂付近を公園にして、動物のモニュメントを並べているのです。B級スポットとして紹介しているHPもありますが、ただコンクリート製の動物を並べているだけですので、B級スポットとしては、微妙なところです。
バスも通りませんし、車も滅多に来ないところです。これだけ大規模に「開発」して公園にしている、って、お金もずいぶんかかったでしょう。まあ、その後の維持費が莫大にかかるというものでもないでしょうから、その点では、つまらないハコものより、マシかもしれません。
けっこう、出来が良いかな、と思わせるものもありますが、
なんじゃこれ、と思うようなものもあります。
右のコアラの鼻付近のもじゃもじゃは、ヒゲじゃなく、葉っぱをくわえています。
調べてみると、例の(といっても、若い人は知らないだろうな)エリマキトカケゲブームは、1984年だそうです。ということは、この公園も、そのあたりに作ったと言うことでしょうか。
こちらには、恐竜がいくつか並んでいます。
ディプロドクスは、葉っぱをくわえているという、細かな演出。
ゾウは出来が良さそうだけど、ライオンはなんか変。
耳が不思議なシマウマに、張り子みたいな虎。
怖い顔のパンダ。
目的地はここです。公園の奥まったところに、明治時代のお墓があるというのです。
加太には、明治時代からの軍事施設があちこちに残っており、この公園に来るまでの山中にも、住宅の跡などが散在しています。で、ここに陸軍のお墓があるというのを、某HPで知ったのです。
案内板のようなものはありましたが、「管理人」の下の文字が消されています。あとで気が付きましたが、現在は誰も「管理」していないんじゃないでしょうか。
倒れた墓も、いくつかありました。
正面には、陸軍砲兵、二等卒、上等兵、三等看護長、等々の肩書きと、名前が書かれています。この時代は、戒名というようなものは使わなかったのでしょう。
で、横には、出身地と、亡くなった日にちのみが彫られています。
明治30年代が多く、時々、大正時代の年号が出てきます。
(右)大坂府東成郡平民、と書かれています。
(左)明治卅八年四月廿三日死、と書かれています。
(右)陸軍三等看護長・・・・
(左)原籍 和歌山懸那賀郡南野上村大字西上谷 入隊 明治三十三年一二月一日
(右)クワガタが、息絶えていました。
上の方に、大きな墓標が三つ並んでいました。
明治三十七八年戦没兵卒戦病死者合葬碑、と書かれています。
完全に草木に覆われて、という感じでもなかったので、一応はどなたかが面倒を見て下さっているのでしょうか。
明治時代には、加太から友が島周辺は大きな軍事施設がありました。江戸末期から明治初期に生まれた人たちが、軍人としてこれらの施設を築き、この地で亡くなった人も大勢おられるのでしょう。地方からここに派遣され、そのままここで眠っておられる人たち。でも、歴史からも、人々の記憶からもだんだん忘れ去られていくのでしょうか。
この近くに、こんな施設がありました。厳重にフェンスで囲まれていますが、何の施設かは、わかりませんでした。雰囲気から考えると、同様の軍事施設跡を、何かに流用している感じです。
和歌山市は、コンクリート製の「モニュメント」が好きらしい。
ここから、四国山の山頂まで遊歩道が付いています。この辺り一帯を、公園として整備しているらしいです。
四国山山頂は、景色が非常に良いところでした。
(左)正面が友が島で、向こうは淡路島になります。その左側に「四国」が見えるはずなので、「四国山」と呼ぶのでしょうか。
(右)和歌山市を見下ろしています。左端に、なんとか製鉄所。
こっちは、北側、大阪湾。
山頂北側に、大きな空き地が広がっています。ちょうど地元の方がおられ聞いてみると、関空のための土砂を採取していたそうです。なんと、「普通の山」があったのに、これだけの平地が出来るほど切り崩したそうです。
で、その一角に巨大な施設がありました。
デルモンテだか、カゴメだかの、トマト工場、だそうです。