大阪の穴                               
 

はじめに


奈良の鍾乳洞、廃坑でのコウモリ観察会に参加したのをきっかけに、大阪のコウモリを調べようと思い立ちました。
最初は情報も少なく、やみくもに歩き回りましたが鉱物屋さんに情報を頂き、一気に廃坑探しが軌道に乗りました。その後、地質図なども参考にし、結構な数の廃坑跡を見つけることができました。

基本的に鉱山というのはやめるときは埋め戻すのが本来の姿なんですが、鉱山の最後は夜逃げ、というのが多いらしいです。山師の言葉通り、当たるともはずれるともわからず、あちこち掘ったんですかねえ。当たった人は一財産作ったそうです。廃坑の調査は原則的には地主と採掘権を持つ人の了解を得るべきでしょうが、北摂の古い鉱山はおそらく江戸時代、さあ、誰に断ればいいのでしょう。

以下に出てくる鉱山名は資料に出ていた鉱山名を使っています。正式名称ではなく、通称があったり、私の勘違いで違う鉱山だったりするかもしれません。具体的な場所は危険防止のため記載していませんし、たぶんお教えできません。でも、廃坑はこれから先、もっともっと数を減らすでしょうし、きっちりした記録を残したいのも事実で、鉱物屋さんできっちりデータをまとめて発表してくださる方がおられましたらぜひご一緒したいと思っています。でもまあ、私がそうだったように、その気で調べればすぐにわかるんでしょうねえ。

コウモリのため廃坑を探している人は大阪ではたぶん私ぐらい?。一方、鉱物屋さんは私以上に情報をお持ちでしょう。普通、鉱物屋さんは穴には入らないそうで、(石をご存じなだけに危険もご存じ?)穴の中の情報は私の方が詳しいかもしれません。
コウモリ的には穴の中はそっとしておいてほしいとも思います、という本人が一番コウモリにとって迷惑なのは承知していますが入らないことには調査が始まらないし。
ちなみにこれらの穴のほとんどは銅、たまに銀が目的で掘られていたようです。マンガン廃坑も何カ所かあります。
資料ではいろんな鉱物名が出ているんですが当方、そちらはさっぱりわかりませんし、資料の受け売りをしても仕方ないので何にも書いていません。場所によるとめずらしい鉱物でも出るのでしょうか。





はじまりはじまり

まず調べたのがインターネット。廃坑関連のHPを探しだし、大阪近辺の情報を集めました。ついで手元にあったNature Study(大阪市立自然史博物館友の会会報)、さらに、洞窟昆虫を研究されている追手門大学西川教授からも情報をいただきました。
 
まず、行ってみたのは**鉱山。昭和58年まで掘っていたそうです。いまでもめずらしい鉱物が採れ、採集禁止になっています。くずれかけた廃屋があり、鉱山関連の日誌があったり、古い設備が残っていたり、すごくいい雰囲気でした。後日、本屋で見つけた近代遺物の写真集にも紹介されていました。
坑口がありましたがふさがれていました、が、土砂を積んでいるだけで人一人入れる隙間がありました。かなり長い間考えましたが意を決して入ってみると、体育館のごとき広さで、約50m進むと分岐して坑道があちこちに伸びていました。コウモリもいないしここで引き返しましたが、後日聞いた話では縦穴があり、何十mも垂直の穴があるとか。また、コウモリも時期によるといるそうです。一人で初めての廃坑でしたし、生きて帰るのに精一杯で観察が十分でなかったのでしょう。鉱物採集なんかで不法侵入も多いらしいです。私ももちろん不法侵入です。(でも、入るな、とはどこにも書いてなかった。)
 
ついで坑道を観光施設にしている鉱山跡です。坑道を利用して、人形を並べて昔の採掘を再現しています。ぐるっと1周回り出てくる構造です。が、冬で閉鎖されていました。入り口付近を探索していると入り口が開いているのを発見しました。ここも人はいませんでしたが、断ろうにも人はいないし、入るな、とも書いてなかったので入ってみると、真っ暗闇に人形が並んでいます。観光客が入ってこないのでみんなくつろいで仕事をさぼり、だべっているようでした。声をかけられそうで気持ちが悪くてコウモリどころではありませんでした。早足で外に出ると鉄砲を担いだおっちゃんがいて、「今頃、こんな所うろちょろしとったらイノシシと間違うて撃たれるでえ。」と言われてしまいました。
 


多田銀山


大阪で廃坑というと有名なのが多田銀山。とりあえず行ってみると公民館に大きな地図があり間歩の名前がいっぱい書いています。これだけ穴があるんやったらコウモリもさぞかしいっぱいいるやろうなあと思い、山中をさまよいまがら探しましたが全然穴がありません。地図は大昔の多田を再現したようなものだったらしいです。

かろうじて青木間歩、瓢箪間歩には入ることができて青木間歩でテングコウモリを、瓢箪間歩ではキクガシラコウモリを見つけ、大阪(正確には大阪近郊)にもコウモリがいるということがわかり始めました。ちなみに1999年当時は青木間歩は腐りかけた木枠に始まる、それなりの雰囲気があるいい穴でしたが最近は立派な木枠を組み、完全に観光地化してしまっています。

後日、別の資料と情報からいくつかの穴を見つけました。
一つはその道の人には有名な穴で、今も”発掘”が行われている穴です。豊臣の埋蔵金を探しておられます。もう一つは這って進むような穴です。約50mで縦穴になっており、最後がどうなっているのか、興味はあるのですが装備がなく、探検していません。


さらに友人がこのあたりでかなりの数の坑道を見つけました。いくつかはコウモリも生息する長い穴でした。幅、高さはすごく狭いですがとにかく長いです。おまけにたいてい縦穴に通じています。風がすごく通る穴もありましたので坑道はお互い、どこかでつながっているのでしょうか。
 
いくつかは現存しますが。 昔の青木間歩は、いい感じでした。

今の青木間歩。照明もばっちり(!?) 瓢箪間歩。

多田銀山の一部。多量のズリがあり、上へ行くと坑口がほとんど埋まりかけ。長い坑道あり。




秦野鉱山

西川先生に教えていただき行ってみました。大きな縦穴があるのですが垂直で入れません。その脇にやや下向きに這えば入れる穴が開いています。ずり落ちるようにして入ってみると坑道はかがんでやっと歩けるような高さでした。途中で縦穴とつながり、縦穴の底からさらに下に掘り進められています。ここは後日、ワイヤー梯子で入りました。
約100mほどで少し広間になっておしまい、と思っていたらつい最近になってさらに小さな坑道が続いているのを発見しました。細過ぎて最後までは行っていません。

キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリが発見されている貴重な穴です。
2,3回目に坑口で人と出会ってお互いびっくりしました。こんな道もない山中で人と会うとはお互い思ってなかったからです。話を聞くと石屋さん、すなわち鉱物研究家の方で大西さんとおっしゃり、後日大阪コウモリ会にも入っていただき、資料をいっぱい頂きました。おかげさまでコウモリ発掘の旅が飛躍的に躍進できました。
 
知らなければとても入る気にならない細さ。縦穴の下部と連絡する。



週末毎の穴探し

最初は資料片手に一人で穴を捜し、入っていました。痕跡だけだっりすることも多いのですが、縦穴があったり延々と這うような穴が続いていたりするケースが見つかり出しました。どこへ行くのか家族にも伝えていないので、このまま落盤などで埋まってしまうと死体すら見つけてもらえないなあと思い、サンショウウオ仲間の藤田さん、ザイルワークのプロの松尾さんにも会に参加していただきザイル片手の穴探しも始めました。

郷土史からの発掘
大西さんから頂いた郷土史の資料に鉱山の話がいっぱい載っていました。それを元に廃坑を探しましたが、その資料自体が大変わかりにくい記述が多く、古文書解読のように読みこなしながら探索しました。


金山間歩?木代鉱山?

資料では金山間歩となっていますが大西さんの話では木代鉱山の可能性もあるらしいです。
入り口の向こうに坑道が見えます、が、入ってすぐに足下がなくなっています。坑道の下を掘り下げたため道が落ちた格好です。
いくらのぞいても底が見えず、大きめの石を落としてもかなり時間がたってからボチャン、と音がします。コウモリの姿を確認しましたし、中がどうなっているのか、ずっと気になっていました。松尾さんにフル装備を用意してもらい、某大学探検部にもお願いしてやっと入ることができました。
10mのワイヤー梯子2本をつないでやっと底につきました。途中、オーバーハングしていてブラブラの状態になるところがあり、怖くて2回引き返し、3回目にやっと降りることができました。底からさらに坑道が横にのびていましたが水没のため入れませんでした。ほ乳類の死体に期待しましたが残念ながらコウモリも白骨死体も見つかりませんでした。
入ってすぐに落ち込む。 奈落の底?


桐山鉱山


資料を解読できず、山中をかなりさまよいました。最後と思って入った山中に大きなズリを見つけ、探すとあちこちに坑口や痕跡を見つけました。
大きめの一つにはいり、コウモリを見つけ、さらに縦穴を発見、ザイルを使用して降りてみると延々と掘り下げられています。かなり狭い穴ですが所々にグアノがありました。
狭くて最後までいけなかった坑道が2,3カ所残っています。
多量のズリ。かなり遠くからでも見えた。 いったん降りてから横に伸びる坑道。


天狗鉱山


かなり古いらしいです。上部に祠があり、谷を降りるといくつか穴が開いていました。


西ヶ谷


いい穴でしたが水没していて入れません。

初谷

こっちは細すぎて入れず。3.4カ所坑道や痕跡があります。

水は湧き水なんですごくきれい。泳げるかも。 うずくまってやっと入れる。どうやって掘ったん?


平尾旧坑


確か、西川先生がミノオメクラチビゴミムシを新発見し命名された基準産地。私が何回か行った時には乾燥し、コウモリもいない、ふつうの穴でした。
すごく珍しい鉱物が採れた、とかで有名になり、全国から鉱物屋さんがおしかけて立入禁止になったといううわさを聞きました。マンガン廃坑?かな。
見にくいけど、ここは水没。この上に乾燥した別の坑道がある。


柿ノ木鉱山


薄暗い藪を上り詰めるとそれらしい雰囲気のところに出てきます。苔むした石段やくずれた廃屋があり非常に雰囲気のいいところです。坑道は小さいのが一つ現存します。


石堂鉱山


ズリ上部に3方に開いた穴があります。ズリはそこそこ。


千本鉱山と駒宇佐鉱山


両方ともゴルフ場でつぶされたのではないでしょうか。千本鉱山らしきところに穴が一つ現存しますがオオゲジだらけでした。入ってすぐは広いけど短かったように思います。
駒宇佐鉱山はさっぱりわかりませんでした。


槻並鉱山

柿ノ木鉱山同様、いい感じです。古びた石段、石組みに大きな坑口の痕跡、あちこちにズリがあります。
コウモリの雰囲気も少しありました。


小路旧坑

穴だらけ、とは聞きましたが本当に穴だらけです。ズリや金グソ(精錬かす、金属をとった跡のかす=クソ、らしい)、炭焼きの跡があちこちにあります。廃坑を探していると炭焼き跡の、円形の石組みを見ることが多く、最初は精錬用の炭を作っていたと思っていましたが、お茶会用に重宝される菊炭を作っていたものかもしれません。
細く、長い坑道や結構大きく掘られた穴、内部で分岐する穴などいろんなタイプの穴があるようです。コウモリ的にもキク、コキク、モモジロ、テングが見つかっています。


赤松鉱山


大きい、いい穴ですがトタンで覆われているのでコウモリも使えません。水没しています。せめて、格子の柵にしてくれればコウモリが利用できるのに。


肝川

多量のズリがあります。坑口の痕跡もちらほらあります。
バイガイを見つけ、大西さんは”油を入れて灯明に使っていたかもしれない”と、おっしゃってました。貝を同定してくださった博物館の学芸員の方は”おいしいから食べたのでは?”と言ってました。さて、どちらが本当でしょう。
ズリは多量ですが坑道はほとんど残っていません。


大萱原鉱山(大洲原鉱山)


住宅地からほんの数十m。しかもかなり大きい廃坑で坑道も残っています。
資料ではまだ銀が出そうなことを書いていますし、昭和中期の穴、かなあ。コウモリもよく見つかる貴重な穴ですが、ここ何回かは水没で全く侵入できませんでした。
十分立って歩ける坑道です。 上にある試掘坑?。タヌキのトイレ。


辻が瀬鉱山


ズリと坑口の痕跡が残ります。坑口の一つはゴミ捨て場になっています。こういう廃坑はたいへん多いです。
特に、このような縦穴はゴミをほかしやすいんでしょう。


とんごの道


鉱山名はわかりません。上止々呂見に鉱山がある、との記述を読んだことがあるのでここの事かもしれません。
古い、苔むした石組みと坑口の痕跡がありました。ここも結構いい雰囲気。


大谷鉱山(黒川鉱山)


かなり新しい鉱山で坑口から鉄の線路が出ています。新しいだけあってきっちりフタをしているのが残念です。
谷に沿っていくつか坑道があったらしく、すぐ上の坑道はトタンでフタをしていましたが進入可能でした。
ズリはあちこちにあり、炭焼き跡もありました。


勝尾寺鉱山
資料では昭和中期の穴でしたので期待しましたが90%埋まった坑口があっただけです。ズリも少量、場所が違うのかなあ。


野間


道路から大量のズリが見え、登ってみましたがコンクリートで完全にフタをされていました。古ーい資料では昔は入れたようですが。この付近、何カ所かコンクリートのフタがあります。
一カ所、フタのない縦穴を見つけたのですがまだ探検していません。


能勢鉱山の一つ?

道路脇にゴミ焼き器、その後ろに穴がありました。這って15mほどでした。


石谷(屏風岩鉱山?違うかな?)

ゴルフ場のすぐ横の谷にあり、ズリも少量、細いが長い坑道があります。そこそこいい感じなんですがゴルフ場の排水?が流れていて泥状になっているのが気になります。坑道はせまいけどいい感じ。

千軒鉱山
ではなく小路旧坑の一つ?

民田あたりに鉱山マークがあるので行ってみました。谷を挟んだ向かい側にはたくさんの坑道を確認しています。その一連の鉱山だと思います。
金グソ(精錬くず)で出来ているらしい小山があり、期待しましたが坑口らしき場所が2,3あっただけで確実な証拠はありませんでした。



民田鉱山


ハイキングコース脇に水没した坑道が一つあります。かなり離れた場所に整地された場所とズリ、埋まった坑口が一つ、坑口らしき場所がいくつかありました。


内馬場鉱山


雨森山へ登る道から少し離れた谷にあります。坑口の痕跡がいくつかと坑道が一つ残っています。唯一の坑道は入ってすぐに縦穴があり水没、その向こうに水平の坑道が見えるのですが縦穴のため行けませんでした。



人工洞

大阪近郊には鍾乳洞等の自然洞はありません。
もちろん、廃坑も人工洞ですが、それ以外の人工洞、トンネルや防空壕も探してみました。


トンネル、防空壕

道路の付け替えにより使用しなくなったトンネルを25000の地図で探し、行ってみました。紀見峠付近にありましたが短くていそうにありませんでした。

防空壕の資料を集め、二上山の戦争遺跡を見てきました。屯鶴坊の下にあります。
軍事工場があった?計画した?ところですごく大きな穴がありました。乾燥しており、結構風が通り、コウモリの雰囲気はありませんでした。
戦争遺跡となるとタチソ(高槻地下倉庫)が有名ですがそちらは行ったことがありません。うわさでは時々コウモリがいる、との話は聞いています。それ以外に小さな防空壕も数個あるらしいです。

谷川にも大きな防空壕がある、との話で行ってみましたが残念ながら埋められていました。


ダム試掘坑

生瀬付近の武庫川両側に各3−4カ所の穴があります。ここに作る予定のダムの試掘坑だそうです。JR廃線側の方は厳重に鍵をされていましたが何回か目に鍵が壊されていて入ることができました。数十mのまっすぐの穴でユビナガコウモリが好みそうでしたがコウモリ臭はありませんでした。先日再訪したときは再び鍵がかかっていました。
対岸の穴へは写真のように行けそうにありません。


JR廃線跡トンネル


武田尾−生瀬間
武田尾から生瀬までの廃線跡はハイキングコースとして有名で、トンネルにコウモリがいないかと何回か歩いたことがあります。私自身は確認できませんでしたがネットでは記録を見つけています。

武田尾−道場間
古い地図によると大きめのトンネルが武田尾寄りに3つあったようです。行ってみると武田尾を出てすぐに一つ目のトンネルがあり、フェンスがありましたがなんとか突破しました。抜けると武庫川に抜け、鉄橋が撤去されているためにその先に進めませんでした。迂回路も見つからず、仕方ないので道場側から歩きました。
トンネル2つを確認しましたが残念ながらコウモリや痕跡は見つかりませんでした。やはり、断面積が大きすぎ、風が通るので住みにくいのでしょうか。


・・施設


資料では穴だらけ、と書いてあるところへ行ってみました。例によって例のごとく、近くにいたおっちゃんに聞くと、”この辺は穴だらけやでえ、なにすんねん?”って言うので、コウモリを探しているって言うと、”コウモリやったらあそこになんぼでもおるわ。子供の頃はよう入ったけど、さあ、今もおると思うけどなあ、”と、向こうを指さします。
人工的に掘られた穴で約300mの直線、膝まで水没していますが北摂では初めてのモモジロコウモリが多数いました。6月に再調査に訪れると妊娠したキクガシラコウモリがいくつか捕獲できました。ひょっとすると、と思い、7月末に夜間、コウモリが出ていくのを確認後、穴に入ってみますと予想通り子供のコロニーがありました。
数は多くないですが2カ所目のキクガシラコウモリの繁殖コロニーを発見しました。
後日の調査ではテングコウモリ、コキクガシラコウモリも見つかっています。
 

一応、トンネル

ホームページをご覧になったYさんに教えていただきました。Yさん、本当にありがとうございました。
ユビナガコウモリが越冬していました。夏期にはかなりの数が入るようです。
ユビナガコウモリが生息する穴はここ以外には1カ所のみ、これだけの数のコウモリが生息する穴は他に2カ所しかありません。




昔に作った廃坑の分布地図。
何となく、雰囲気はわかるでしょうか。
現在は25,6カ所に増えています。