鉄砲鍛冶屋敷・清学院・伝・自転車博物館・山口家住宅  


2024年12月


堺市では、町家歴史館として、山口家住宅(江戸時代初期、重要文化財)、清学院(登録有形文化財)、鉄砲鍛冶屋敷(井上関右衛門家住宅)(堺市指定有形文化財)の3館を指定しています。それらは、65歳以上の堺市民は無料で入館できるという事でしたので、以前にも何度か入ったことはあるのですが、改めて行ってみました。伝と自転車博物館は近くにあるのでおまけに行きました。

まず、鉄砲鍛冶屋敷。ここに鉄砲を作っていた家があるのは知っていましたが、昔は「普通の民家」でしたので見学はできませんでした。最近、この屋敷を堺市が保存整備して一般公開されました。

 

 


(左)茶室がありました。

 

 


刀の柄に鉄砲が装飾されています。

 


火縄銃の銃身の作り方です。
棒に板状の鉄を巻きます。さらに、それにらせん状に鉄を巻くんだそうです。

 


この家は江戸時代から始まり、仕事を拡大するにしたがって敷地を拡げ、増改築されてきたそうです。で、公開に当たっては、可能な限り、昔の状態に戻しているそうな。
印象的には、蔵に残されていた膨大な資料が一番価値があるんじゃないかと思います。まあ、家そのものも古い部分もあって、それはそれで見ごたえはありますが。昔に使われていた木製の消火機械やふいごも残されていますが、作業場そのものは、その場所はあっても、昔のままではありません。実際、明治になって鉄砲を作らなくなってからは、家業としては味噌(だったかな)を作っていたりしていたそうです。
ボランティアの方が多数おられるようで、すぐに寄って来て解説してくれます。まあ、一度くらいは見ておいてもいいかなあ。



その隣に、清学院というのがあります。江戸時代の修験道の道場で、明治になってからは寺子屋のようなものになっていたそうです。
川口慧海という人物が幼少の時にここで学問を学び、仏教をさらに学ぶには本場のチベットに行く必要があると思って、当時、鎖国されていたチベットに日本人として初めてもぐりこんだそうです。初めてここに来たときにその話をボランティアの方に詳しく聞かせていただき、ちょっと興味を持って調べてみましたが、やっぱりすごい人物だったようです。
都合、2度ほどチベットを訪れ、帰国後は東京の方で過ごしていました。
まあ、私が解説するより、ネットでググっていただければいっぱい出てくると思います。こんな偉大な人が堺出身、って、知りませんでした。

 


南海本線、七道駅に、慧海の像と解説板があります。

 


これらの近く、旧堺市街にある施設です。
堺の伝統的な産業、どちらかというと刃物を主に紹介、展示、販売している施設です。

 

   

   

 


ついで、自転車博物館です。
以前は大仙公園にありましたが、ここにあった東京第1ホテルを解体して、ここに移動してきました。そんなに古臭くないホテルだったのですが、どうして閉館したんでしょうね。シマノの名前が付いている通り、おそらくシマノが深く関係しているのでしょう。
以前から何度か来ているので、写真はあまり撮りませんでした。現地でご確認ください。

   

 


皇居へ贈られた自転車です。
もっと小さな子供用自転車もありました。

 

 

 

 

 

 

 


施設はすごくきれいです。
平日の昼間だったためか、入館者は最初は私だけ、しばらくして一人入って来ただけでした。ここはボランティアもいないし、ゆっくり見て回れます。でも、そんなに人が集まる施設でもないし、維持費も出ないんじゃないですかねえ。



最後は山口家住宅。これは国指定の重要文化財です。

 


正月用かなあ。福助人形が展示されていました。

 

   

   

   

   

   

   

   


聞いた話では、この家の本来の家業は、具体的にはわかっていないのだとか。古い事だけは確かです。
最後の代の方は、堺市にこの家を売却して東京へ行かれたそうです。